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若松 進一(わかまつ しんいち) プロフィール

○主な経歴

1944年 愛媛県双海町生まれ
1963年

愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科卒業
愛媛県青年団連合会会長、四国四県青年団連絡協議会会長

1976年 第10回総理府派遣青年の船班長
1994年 双海町地域振興課長
2003年 双海町教育長

【お問い合わせ先】
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○水平線の家

○主な著書

○観光カリスマ百選

 真似しない、真似できないアイデアで地域力を作り上げるカリスマとして、平成15年、国土交通省「観光カリスマ百選」に選ばれました。 観光カリスマ百選のページでは、選定理由などについて以下のように紹介されています。

○選定理由

  住民のまちづくりの意識を高めるための組織作りに力を入れる一方、夕日をコンセプトにしたまちづくりに従事し、「他の市町村を見習わない。見習ったら規模の大小の勝負になる。オンリーワンなら、自分たちの汗と知恵があればできる。」をモットーに、話題を呼ぶ仕掛けをつくり、地域の活性化に貢献した。

○具体的な取り組みの内容

 双海町は、かつては過疎、高齢化、地盤沈下にも悩まされる何もない町であり、近く松山などの名を借りてしか説明できないような町だった。そのような中で「夕日」をテーマに地域の活性化を実現したのが若松進一氏である。

  ■「夕日」という個性の発見  若松氏はもともと家業の漁業を継ぎ、同時に青年団の活動にものめりこんでいたが、過労で25歳のとき体を壊してしまい、町役場で公民館活動を通じて社会教育に打ち込んでいた。その取り組みはNHKで放送されるのだが、その際に取材に来たディレクターが双海町の夕日を見て「こんな夕日は初めて」と感慨深げに語る。なにげなく眺めていた自分の故郷の夕日の美しさの価値を、外部の人に気づかされたのである。

 若松氏は早速国内の夕日が有名な地域を回ったが、夕日を自慢する地域はあっても、夕日で町おこしに取り組んだ事例はないことに気づき、夕日を双海町のまちづくりのコンセプトにすることを思いつく。  初めから周囲が好意的だったわけではない。自分達にとって身近な風景が高い価値を持つことに気づいていない周囲からは、なかなか理解を得られなかった。大金を投資することへの不安もあった。しかし、若松氏は持ち前の熱意で青年団の若者、知人たちを説得していった。その熱意が、夕焼けコンサートの実現につながるのである。

  ■夕焼けコンサート  まちおこしに関心のある仲間たちとの会話の中で、町でコンサートを開きたいというアイデアがあった。そこで若松氏は夕日をバックにコンサートを開くというアイデアを思いつくのである。  映画「男はつらいよ」のロケにも使われた無人の下灘駅は、瀬戸内海の夕日が映える絶好の高台にあった。彼のこだわりと熱意は、ホームの使用に難色を示したJRを動かし、仲間を呼びコンサートの実現の運びとなる。  田舎の駅のホームを会場にするという奇抜なアイデア、夕日の沈むドラマチックなシチュエーションが反響を呼び、1,000人以上の客を集めたのである。  こうした経験が、海岸線を利用した地形をフルに活かし、数々のイベントを作り上げ、年間55万人の集客を誇るまちづくりに成功するのである。

■まちづくりの人材育成  若松氏のまちづくりの基本コンセプトは人づくり、拠点づくり、住民総参加の日本一づくりの3点である。

  1. 人づくり
      「知識でまちおこしをするな、知識と知恵は違う。」単なる知識ではなく、人と人との語らいで生まれる知恵を重視する若松氏は、自分の家の敷地内に「煙会所」という私設公民館を開いている。この煙会所には彼を中心としてまちづくりを志す者達が集まり、町の将来像について熱く語り合い、その後の彼のまちづくりに協力する仲間たちになっていく。現在でもわずか4.5畳に年間1,500人もの仲間たちが集まる。  こうして多くの人々の知恵と熱意で磨き上げられたまちづくりのアイデアは、さらに多くの住民を動かし、成功を収めて行くこととなる。
  2. 拠点づくり
      平成6年に地域振興課長となった若松氏は、人々の交流の拠点として、平成7年に複合施設(シーサイド公園、潮風ふれあい公園)を手がける。  新しい施設は一時的に人を呼び込むが、それはあくまで一時的なものである。経営コンセプトをしっかり打ち立て、施設が醸す物語や周辺に何かがないとリピーターは生まれないと考え、話題に敏感な若者をターゲットにした施設造りを企画した。  施設を自慢の夕日が映えるデートスポットとして演出することを手始めに、パラグライダー、シーカヤックなどのアウトドアスポーツの拠点として整備した。道の駅として活用する物販施設では、みかんを夕焼けアイスクリームに、地場の魚は揚げかまぼこにし、歩きながら食べられるように工夫した。  このほか、各種イベントの開催、夕焼けこやけライン、「しずむ夕日が立ちどまるまち」というキャッチコピーなど次々にCI事業を展開、「立ち止まらない施設造り」の努力の結果、シーサイド公園を運営するシーサイドふたみは8期連続で黒字、しかも5%の配当を行う、全国でも優秀といわれる第三セクターに成長している。
  3. 住民総参加のまちづくり
      「他の市町村を見習わない。見習ったら規模の大小の勝負になる。オンリーワンなら、自分たちの汗と知恵があればできる。」若松氏は夕日・花・ホタル・めだか・水辺などの自然とそこに住む人間が融合共生するという、アメニティのまちづくりでオンリーワンを目指した。  例えば、町のホタル祭りはホタルが一切飛び交わない祭りに仕上げている。参加する人々が持ち寄る提灯、そしてライトアップされた夜空に向かって解き放たれる風船がホタルの代わりとなっている。「ホタルを育てることは、隣の町でもやっている。手間が掛かるし、だいいち他と同じ事をしても面白くないでしょう。」  こうしたオンリーワンの精神は、各イベントの隅々に生きており、次々とアイデアあふれる企画を打ち出し成功させている。

双海町のまちづくりが示すもの  「夕日」の美しさは誰しも認めるところである。その一方で、それを地元の資源と捉えた例は少ない。若松氏の秀逸さは夕日の美しさをただ売りにするだけではなく、その周辺のソフトの充実を図り観光客を集めたことにある。「この町が好き、この町を良くしたい、この町のためにやる」という熱意とアイデアさえあれば、どこにでも可能性があることを示唆している。  若松氏は著書の中でこう述べている。「・・・町を良くしたいと思う心が強ければ、最後は説得できるはずである。夕日のようにどこにでもあるものを地域資源と捉え、地域個性に変えてゆくには、それ相当の熱意が必要だろう。結局、まちづくりは、あれもないからほしい、これもないからほしいと、よそにあるものをねだる“足し算”よりも、自分の町の悪さを除けていく“引き算”のまちづくりが求められるのである。」  今日も双海町に夕日と観光客が立ち止まる。

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